仏教は、ブッタ(釈迦)を開祖とする宗教で、キリスト教・イスラム教と並んで、世界三大宗教の一つといわれている。仏教開祖は、紀元前4〜5世紀頃である。
仏教、すなわちブッタ(釈迦)の悟りと説法の根本は、四諦と八正道であり、十二縁起(因縁)であるとする。苦の原因の解明と、苦からの解脱の方法と実践を説いた。
仏教伝来は、ブッタ(釈迦)の布教により、インド各地に広まり、ブッタ(釈迦)の入滅後、弟子たちの解釈の仕方から、小乗仏教、大乗仏教、部派仏教へと拡大するとともに、インド仏教からチベット仏教を経て、中国仏教へ、やがて日本へ伝来し、日本仏教となった。一方、インドから東南アジアへ伝播した仏教を、南方仏教と呼ぶ。
初期仏教経典としては、スッタニバータ(ブッタのことば)やダンマパダ(ブッタの真理のことば)があり、中村元の日本語訳が存する。
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2011年07月29日
仏教の教え
<仏教の教え>
仏教の教え、すなわちブッタ(釈迦)の悟りと説法の根本は、四諦と八正道であり、十二縁起(因縁)であるとする。仏教は、苦の原因の解明と、苦からの解脱の方法と実践を説いた。
仏教の教えの内、ブッダ(釈迦)の最後の教えは、ブッダ(釈迦)が仏涅槃にはいる折、最後までブッダ(釈迦)に付き従ったアーナンダに伝えた。「他をたよりにせず、誰もが、ただ自己と法(ブッダ(釈迦)の説法)をよりどころとしてひたすら解脱を求める修行に励むこと」と。
仏教の教えとしての初期仏教経典としては、スッタニバータ(ブッタのことば)やダンマパダ(ブッタの真理のことば)があり、中村元の日本語訳が存する。
<仏教の教えの内容>
(四苦八苦)
仏教においては、人生における苦しみは、八つに分類されるとする。
人生における根本的な苦しみを生・老・病・死の四苦とし
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離する苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - あらゆる精神的な苦しみ
を加え八苦とする。
(四諦)
仏教の四諦(したい)とは、ブッタ(釈迦)が四苦八苦から脱却し、悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つをいう。ブッタ(釈迦)の四聖諦ともいう。
ブッタ(釈迦)の聖諦とは「神聖なる真理」という意味であり、よって四諦とは「4つの真理」の意である。
・苦諦ー人が生きるということは苦であるという真理
・集諦ーその苦の原因は人間の執着にあるという真理
・滅諦ーこの苦を滅した境地が悟りであるという真理
・道諦ーその悟りに到達する方法が仏道であるという真理
(仏教八正道)
八正道(はっしょうどう)とは、ブッタ(釈迦)が最初の説法において説いたとされる。
八正道は、ブッタ(釈迦)が苦からの解脱の修行の基本として説いたものである。
八正道は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳をいう。「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論では「八聖道支」としている。この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから聖道と言う。
@正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれる。
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。
このように現実を厭うことが正見であるなら、人間の日常性を否定する消極的なもののように思われる。しかし、その日常性の否定は、真実を積極的に追求することから生まれるから、かえって真実の認識の完成である。この意味で「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれる。
この正見は、以下の七種の正道によって実現される。その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。 八正道は全て正見に納まる。
A正思惟
正思惟とは、正県したものを、素直に考え、素直に志を立てることである。
財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」にまつわる、人間の日常生活を正しく思惟することが正思惟である。
正思惟により、自己本位にふるまう人間の行動や、独善的な人間の行為を、正すことができる。
B正語
正語とは、正しい言葉を使うこと。すなわち妄語、綺語、両舌、悪口、告口を使わないことをいう。
C正業
正業とは、正思惟と正語の実践である。すなわち殺生を離れ、不与取を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れることと、 妄語・綺語・悪口・両舌・告口を離れることであり、正業は人間人格の尊重である。
D正命
正命とは、正しい生活のこと。まちがった生活を捨てて正しい生活を営むことであり、常に無明(無知)、煩悩を滅する方向に動いてゆく生活である。
E正精進
正精進とは、正しい悟りのため努力すること。すでに起こった悪や不善を断ずる努力、未来に起こる悪や不善を生こらないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれる。
F正念
正念とは、初心忘れるべからずの観念。
D正定
正定とは、精神の集中と統一のこと。この「正定」によってはじめて、「正見」が得られる。
このようにして、八正道は、人間完成への人間の実践として、中道である必要性をと説くのである。以上の八正道の「正見」こそ真実の智慧の実践であり、それを実現してゆく具体的な道が「正思惟」以下の七支である。
(仏教十二縁起(因縁))
十二縁起説とは、ブッタ(釈迦)が、人間の生存の苦悩に目を向け、苦悩から解脱すべきことを説く教えで、四諦、八正道につながるのブッタ(釈迦)の説法の根本となるものである。すなわち、無明(無知、煩悩)が老死(四苦八苦)を招く縁起(因縁)となることを説いたもの。
現在では、十二縁起説の解釈の仕方が、流転縁起説(諦めを強いる教説)と還滅縁起説(苦の現実から開放される方向を明示する)とがあるが、これからの人間社会では、還滅縁起説を強く説く必要がある。
@無明(むみょう) - 無知、煩悩。
A行(ぎょう) - 身、語、意で行動すること。
B識(しき) - 6識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)。無知の行為は識を狂わす。
C名色(みょうしき) - 6境(色、声、香、味、触、法)。識の成立の因。
D六処(ろくしょ) - 6根(眼、耳、鼻、舌、身、意)。知覚の入口。
E触(そく) - 6識の成立、認識。
F受(じゅ) - 苦楽、不苦不禁、三受。
G愛(あい) - 愛着、執着、欲受
H取(しゅ) -所有、 取捨選択の行為。
I有(う) - 生存、一生の方向づけ。
J老(ろう)- 生老病死、愛別離苦、四苦八苦。
K死(し) - 生老病死、愛別離苦、四苦八苦。
仏教の教え、すなわちブッタ(釈迦)の悟りと説法の根本は、四諦と八正道であり、十二縁起(因縁)であるとする。仏教は、苦の原因の解明と、苦からの解脱の方法と実践を説いた。
仏教の教えの内、ブッダ(釈迦)の最後の教えは、ブッダ(釈迦)が仏涅槃にはいる折、最後までブッダ(釈迦)に付き従ったアーナンダに伝えた。「他をたよりにせず、誰もが、ただ自己と法(ブッダ(釈迦)の説法)をよりどころとしてひたすら解脱を求める修行に励むこと」と。
仏教の教えとしての初期仏教経典としては、スッタニバータ(ブッタのことば)やダンマパダ(ブッタの真理のことば)があり、中村元の日本語訳が存する。
<仏教の教えの内容>
(四苦八苦)
仏教においては、人生における苦しみは、八つに分類されるとする。
人生における根本的な苦しみを生・老・病・死の四苦とし
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離する苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - あらゆる精神的な苦しみ
を加え八苦とする。
(四諦)
仏教の四諦(したい)とは、ブッタ(釈迦)が四苦八苦から脱却し、悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つをいう。ブッタ(釈迦)の四聖諦ともいう。
ブッタ(釈迦)の聖諦とは「神聖なる真理」という意味であり、よって四諦とは「4つの真理」の意である。
・苦諦ー人が生きるということは苦であるという真理
・集諦ーその苦の原因は人間の執着にあるという真理
・滅諦ーこの苦を滅した境地が悟りであるという真理
・道諦ーその悟りに到達する方法が仏道であるという真理
(仏教八正道)
八正道(はっしょうどう)とは、ブッタ(釈迦)が最初の説法において説いたとされる。
八正道は、ブッタ(釈迦)が苦からの解脱の修行の基本として説いたものである。
八正道は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳をいう。「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論では「八聖道支」としている。この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから聖道と言う。
@正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれる。
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。
このように現実を厭うことが正見であるなら、人間の日常性を否定する消極的なもののように思われる。しかし、その日常性の否定は、真実を積極的に追求することから生まれるから、かえって真実の認識の完成である。この意味で「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれる。
この正見は、以下の七種の正道によって実現される。その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。 八正道は全て正見に納まる。
A正思惟
正思惟とは、正県したものを、素直に考え、素直に志を立てることである。
財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」にまつわる、人間の日常生活を正しく思惟することが正思惟である。
正思惟により、自己本位にふるまう人間の行動や、独善的な人間の行為を、正すことができる。
B正語
正語とは、正しい言葉を使うこと。すなわち妄語、綺語、両舌、悪口、告口を使わないことをいう。
C正業
正業とは、正思惟と正語の実践である。すなわち殺生を離れ、不与取を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れることと、 妄語・綺語・悪口・両舌・告口を離れることであり、正業は人間人格の尊重である。
D正命
正命とは、正しい生活のこと。まちがった生活を捨てて正しい生活を営むことであり、常に無明(無知)、煩悩を滅する方向に動いてゆく生活である。
E正精進
正精進とは、正しい悟りのため努力すること。すでに起こった悪や不善を断ずる努力、未来に起こる悪や不善を生こらないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれる。
F正念
正念とは、初心忘れるべからずの観念。
D正定
正定とは、精神の集中と統一のこと。この「正定」によってはじめて、「正見」が得られる。
このようにして、八正道は、人間完成への人間の実践として、中道である必要性をと説くのである。以上の八正道の「正見」こそ真実の智慧の実践であり、それを実現してゆく具体的な道が「正思惟」以下の七支である。
(仏教十二縁起(因縁))
十二縁起説とは、ブッタ(釈迦)が、人間の生存の苦悩に目を向け、苦悩から解脱すべきことを説く教えで、四諦、八正道につながるのブッタ(釈迦)の説法の根本となるものである。すなわち、無明(無知、煩悩)が老死(四苦八苦)を招く縁起(因縁)となることを説いたもの。
現在では、十二縁起説の解釈の仕方が、流転縁起説(諦めを強いる教説)と還滅縁起説(苦の現実から開放される方向を明示する)とがあるが、これからの人間社会では、還滅縁起説を強く説く必要がある。
@無明(むみょう) - 無知、煩悩。
A行(ぎょう) - 身、語、意で行動すること。
B識(しき) - 6識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)。無知の行為は識を狂わす。
C名色(みょうしき) - 6境(色、声、香、味、触、法)。識の成立の因。
D六処(ろくしょ) - 6根(眼、耳、鼻、舌、身、意)。知覚の入口。
E触(そく) - 6識の成立、認識。
F受(じゅ) - 苦楽、不苦不禁、三受。
G愛(あい) - 愛着、執着、欲受
H取(しゅ) -所有、 取捨選択の行為。
I有(う) - 生存、一生の方向づけ。
J老(ろう)- 生老病死、愛別離苦、四苦八苦。
K死(し) - 生老病死、愛別離苦、四苦八苦。
2011年07月09日
仏教の実践・戒定慧早分かり
<戒定慧早分かり・仏教の実践>
[戒 定 慧] 曼陀羅 ブッダ最後の言葉
仏教の実践方法としてあるのが戒、定、慧の3学である。特に戒は、在家者、出家者により異なっている。3学のうちで最も基本的な戒と定に関して、古い経典には「戒学と定学を修するとは鳥の両翼の如し」と喩えた記録が残っている。戒と定の実践は、煩悩を和らげ、心を清める意味がある。
[戒律] (五戒)
悪い癖(五蓋)を改めて善を修めるのが目的。日常生活によい習慣を付けるための5つの基本的な方法。
五蓋とは:貪欲(むさぼり)、瞋恚(いかり、うらみ)、睡眠(暗く身を重くさせる状態)、掉悔(のぼせと悩み)、疑(うたがいやためらい)。
1. 不殺生:全ての生き物は平等性の下に存在しているのだから、徒らに生き物を殺さぬこと。
2. 不偸盗:盗みをしないこと。(自分に属していないものや権利を自分のものにしないこと)
3. 不邪婬:男女の性関係をみだらに結ばないこと。
4. 不妄語:言葉は人間交流の主要な媒体であるから、嘘をいわぬこと。
5. 不飲酒:飲酒を慎み、上の4つのいましめを破らぬこと。
[禅定](四念処)
戒の実践を前提に、こころの安定を得ることを目的とした方法。(座禅は一つの方法)
誰もが、おちいりやすい心の傾向、「浄」、「楽」、「常」、「我」、の真実を正しく観察する。
1. 浄:身体の不浄性を観察する又、身体における息、行、住、座、臥を観察する。(観身不浄・身念処)
2. 楽:一切の感受作用(汚れた心)は苦しみにつながる。(観受是苦・受念処)
3. 常:心は常にいろいろなこと考え一瞬たりとも止まることなく変化し続けている。(観心無常・心念処)
4. 我:諸々の法(縁起による存在)は、本質的な我(主体)なるものではない。(観法無我・法念処)
[智慧](七覚支)
戒律と禅定が安定して実践できるようになると智慧の働きが現れてくる。
1. これまでの己の言行を注意深く思い起こし、(念法)
2. それらを正しい知恵によって、良く思慮しつつ、(択法)
3. 怠ることなく励むならば、(精進)
4. こころに喜びが生じ、(喜法)
5. 喜ぶことによって、心体が軽やかになり、(軽安)
6. それによりこころが安らかになり統一されて、(定法)
7. あらゆる感情を離れた平等な態度が達成される。(捨法)
[八正道](八聖道)
智慧(さとり)を体得すると共に、中道という理想の境地(涅槃寂静)に到達するための実践方法と思われる。
お釈迦様が、実践していた方法と思われるので、私たち凡夫にとっては遥か、かなたの境地のように思える。
1.正見:
2.正志:
3.正語:
4.正業:
5.正命:
6.正方便:
7.正念:
8.正定:
[六波羅蜜]
大乗仏教における仏法を信じる者にとっての実践内容を意味している「楽波羅蜜」ともいわれる。戒、定、慧の3学に、慈悲の心を主眼として、3つの実践項目を追加したと考えられる。 般若心経に出てくる「般若波羅蜜多」と関係のある実践項目ではないかと思われる。
1.布施(ふせ):・出家者(僧伽)や衆生(人々)への施し。 ・正しい仏法の流布。 ・恐れを取り除き安心感を与える。 ・物惜しみをしない。
2.持戒(じかい):3学の「戒」に同じ。
3.忍辱(にんにく):はずかしめや嫌のことを堪え忍び、決して怒ったり憎んだりしない。
4.精進(しょうじん):六波羅蜜完成のために、あらゆることを努力してやまない。
5.禅定(ぜんじょう):3学の「定」に同じ。
6.智慧(ちえ):3学の「慧」に同じ。
[戒 定 慧] 曼陀羅 ブッダ最後の言葉
仏教の実践方法としてあるのが戒、定、慧の3学である。特に戒は、在家者、出家者により異なっている。3学のうちで最も基本的な戒と定に関して、古い経典には「戒学と定学を修するとは鳥の両翼の如し」と喩えた記録が残っている。戒と定の実践は、煩悩を和らげ、心を清める意味がある。
[戒律] (五戒)
悪い癖(五蓋)を改めて善を修めるのが目的。日常生活によい習慣を付けるための5つの基本的な方法。
五蓋とは:貪欲(むさぼり)、瞋恚(いかり、うらみ)、睡眠(暗く身を重くさせる状態)、掉悔(のぼせと悩み)、疑(うたがいやためらい)。
1. 不殺生:全ての生き物は平等性の下に存在しているのだから、徒らに生き物を殺さぬこと。
2. 不偸盗:盗みをしないこと。(自分に属していないものや権利を自分のものにしないこと)
3. 不邪婬:男女の性関係をみだらに結ばないこと。
4. 不妄語:言葉は人間交流の主要な媒体であるから、嘘をいわぬこと。
5. 不飲酒:飲酒を慎み、上の4つのいましめを破らぬこと。
[禅定](四念処)
戒の実践を前提に、こころの安定を得ることを目的とした方法。(座禅は一つの方法)
誰もが、おちいりやすい心の傾向、「浄」、「楽」、「常」、「我」、の真実を正しく観察する。
1. 浄:身体の不浄性を観察する又、身体における息、行、住、座、臥を観察する。(観身不浄・身念処)
2. 楽:一切の感受作用(汚れた心)は苦しみにつながる。(観受是苦・受念処)
3. 常:心は常にいろいろなこと考え一瞬たりとも止まることなく変化し続けている。(観心無常・心念処)
4. 我:諸々の法(縁起による存在)は、本質的な我(主体)なるものではない。(観法無我・法念処)
[智慧](七覚支)
戒律と禅定が安定して実践できるようになると智慧の働きが現れてくる。
1. これまでの己の言行を注意深く思い起こし、(念法)
2. それらを正しい知恵によって、良く思慮しつつ、(択法)
3. 怠ることなく励むならば、(精進)
4. こころに喜びが生じ、(喜法)
5. 喜ぶことによって、心体が軽やかになり、(軽安)
6. それによりこころが安らかになり統一されて、(定法)
7. あらゆる感情を離れた平等な態度が達成される。(捨法)
[八正道](八聖道)
智慧(さとり)を体得すると共に、中道という理想の境地(涅槃寂静)に到達するための実践方法と思われる。
お釈迦様が、実践していた方法と思われるので、私たち凡夫にとっては遥か、かなたの境地のように思える。
1.正見:
2.正志:
3.正語:
4.正業:
5.正命:
6.正方便:
7.正念:
8.正定:
[六波羅蜜]
大乗仏教における仏法を信じる者にとっての実践内容を意味している「楽波羅蜜」ともいわれる。戒、定、慧の3学に、慈悲の心を主眼として、3つの実践項目を追加したと考えられる。 般若心経に出てくる「般若波羅蜜多」と関係のある実践項目ではないかと思われる。
1.布施(ふせ):・出家者(僧伽)や衆生(人々)への施し。 ・正しい仏法の流布。 ・恐れを取り除き安心感を与える。 ・物惜しみをしない。
2.持戒(じかい):3学の「戒」に同じ。
3.忍辱(にんにく):はずかしめや嫌のことを堪え忍び、決して怒ったり憎んだりしない。
4.精進(しょうじん):六波羅蜜完成のために、あらゆることを努力してやまない。
5.禅定(ぜんじょう):3学の「定」に同じ。
6.智慧(ちえ):3学の「慧」に同じ。
2008年09月29日
仏教経典
仏教経典の代表的な経典としては、法句経、阿含経、般若経、維摩経、涅槃経、華厳経、法華三部経、浄土三部経、金剛頂経などが挙げられる。
仏教経典は、大きく原始仏典と大乗仏典にわかれる。
・原始仏典には、スッタニバータ(ブッタのことば)、ダンマパダ(ブッタの真理のことば)、ウダーナヴァルガ(ブッタの感興のことば)や法句経、阿含経があり、釈尊の言葉を比較的忠実に伝えていると言われる。経典成立は、仏滅後100年〜300年といわれている。
・大乗仏典は、西暦紀元前後以降、大乗仏教教団によって創作されたもので、すべて歴史上の釈尊とは直接関係のないものである。般若経典群、法華経、華厳経、浄土三部経などがこれに含まれる。
・法華経ー@一乗と方便A仏の守護、善根の功徳、正定衆、慈悲。
・浄土三部経ー@無量寿経(法蔵菩薩四十八の誓願)A観無量寿経B阿弥陀経
・般若経ー@般若心経A金剛若心経
・華厳経ー@菩薩への道(十住、十行、十回向、十地)A十地の実践。善財童子の旅
仏教経典は、大きく原始仏典と大乗仏典にわかれる。
・原始仏典には、スッタニバータ(ブッタのことば)、ダンマパダ(ブッタの真理のことば)、ウダーナヴァルガ(ブッタの感興のことば)や法句経、阿含経があり、釈尊の言葉を比較的忠実に伝えていると言われる。経典成立は、仏滅後100年〜300年といわれている。
・大乗仏典は、西暦紀元前後以降、大乗仏教教団によって創作されたもので、すべて歴史上の釈尊とは直接関係のないものである。般若経典群、法華経、華厳経、浄土三部経などがこれに含まれる。
・法華経ー@一乗と方便A仏の守護、善根の功徳、正定衆、慈悲。
・浄土三部経ー@無量寿経(法蔵菩薩四十八の誓願)A観無量寿経B阿弥陀経
・般若経ー@般若心経A金剛若心経
・華厳経ー@菩薩への道(十住、十行、十回向、十地)A十地の実践。善財童子の旅
2008年07月01日
仏教行事
1、潅仏会ー4月8日。隆誕会、仏生会、浴仏会、竜華会、花会式、花祭とも言う。釈迦の誕生の日。象の乗り物、甘茶で祝う。
2、成道会ー12月8日。釈迦がブッタガヤで悟りを開いた成道の日。
3、涅槃会ー2月15日。釈迦の入滅の日。涅槃図を掲げる、涅槃図には仏弟子、在家信者、52の生類が描かれているが、なぜか猫がいない(十二支にもいない)のはおもしろい。
2、成道会ー12月8日。釈迦がブッタガヤで悟りを開いた成道の日。
3、涅槃会ー2月15日。釈迦の入滅の日。涅槃図を掲げる、涅槃図には仏弟子、在家信者、52の生類が描かれているが、なぜか猫がいない(十二支にもいない)のはおもしろい。
2008年06月20日
仏教八正道
仏教八正道(はっしょうどう)とは、ブッタ(釈迦)が最初の説法において説いたとされる。
仏教八正道は、ブッタ(釈迦)が苦からの解脱の修行の基本として説いたものである。
仏教八正道は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳をいう。「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論では「八聖道支」としている。この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから聖道と言う。
<仏教八正道>
@正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれる。
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。
このように現実を厭うことが正見であるなら、人間の日常性を否定する消極的なもののように思われる。しかし、その日常性の否定は、真実を積極的に追求することから生まれるから、かえって真実の認識の完成である。この意味で「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれる。
この正見は、以下の七種の正道によって実現される。その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。 八正道は全て正見に納まる。
A正思惟
正思惟とは、正県したものを、素直に考え、素直に志を立てることである。
財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」にまつわる、人間の日常生活を正しく思惟することが正思惟である。
正思惟により、自己本位にふるまう人間の行動や、独善的な人間の行為を、正すことができる。
B正語
正語とは、正しい言葉を使うこと。すなわち妄語、綺語、両舌、悪口、告口を使わないことをいう。
C正業
正業とは、正思惟と正語の実践である。すなわち殺生を離れ、不与取を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れることと、 妄語・綺語・悪口・両舌・告口を離れることであり、正業は人間人格の尊重である。
D正命
正命とは、正しい生活のこと。まちがった生活を捨てて正しい生活を営むことであり、常に無明(無知)、煩悩を滅する方向に動いてゆく生活である。
E正精進
正精進とは、正しい悟りのため努力すること。すでに起こった悪や不善を断ずる努力、未来に起こる悪や不善を生こらないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれる。
F正念
正念とは、初心忘れるべからずの観念。
D正定
正定とは、精神の集中と統一のこと。この「正定」によってはじめて、「正見」が得られる。
このようにして、八正道は、人間完成への人間の実践として、中道である必要性をと説くのである。以上の八正道の「正見」こそ真実の智慧の実践であり、それを実現してゆく具体的な道が「正思惟」以下の七支である。
仏教八正道は、ブッタ(釈迦)が苦からの解脱の修行の基本として説いたものである。
仏教八正道は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳をいう。「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論では「八聖道支」としている。この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから聖道と言う。
<仏教八正道>
@正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれる。
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。
このように現実を厭うことが正見であるなら、人間の日常性を否定する消極的なもののように思われる。しかし、その日常性の否定は、真実を積極的に追求することから生まれるから、かえって真実の認識の完成である。この意味で「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれる。
この正見は、以下の七種の正道によって実現される。その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。 八正道は全て正見に納まる。
A正思惟
正思惟とは、正県したものを、素直に考え、素直に志を立てることである。
財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」にまつわる、人間の日常生活を正しく思惟することが正思惟である。
正思惟により、自己本位にふるまう人間の行動や、独善的な人間の行為を、正すことができる。
B正語
正語とは、正しい言葉を使うこと。すなわち妄語、綺語、両舌、悪口、告口を使わないことをいう。
C正業
正業とは、正思惟と正語の実践である。すなわち殺生を離れ、不与取を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れることと、 妄語・綺語・悪口・両舌・告口を離れることであり、正業は人間人格の尊重である。
D正命
正命とは、正しい生活のこと。まちがった生活を捨てて正しい生活を営むことであり、常に無明(無知)、煩悩を滅する方向に動いてゆく生活である。
E正精進
正精進とは、正しい悟りのため努力すること。すでに起こった悪や不善を断ずる努力、未来に起こる悪や不善を生こらないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれる。
F正念
正念とは、初心忘れるべからずの観念。
D正定
正定とは、精神の集中と統一のこと。この「正定」によってはじめて、「正見」が得られる。
このようにして、八正道は、人間完成への人間の実践として、中道である必要性をと説くのである。以上の八正道の「正見」こそ真実の智慧の実践であり、それを実現してゆく具体的な道が「正思惟」以下の七支である。
仏教四諦
仏教四諦(したい)とは、ブッタ(釈迦)が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つをいう。ブッタ(釈迦)の四聖諦ともいう。
ブッタ(釈迦)の聖諦とは「神聖なる真理」という意味であり、よって仏教四諦とは「4つの真理」の意である。
<仏教四諦4つの真理>
・苦諦ー人が生きるということは苦であるという真理
・集諦ーその苦の原因は人間の執着にあるという真理
・滅諦ーこの苦を滅した境地が悟りであるという真理
・道諦ーその悟りに到達する方法が仏道であるという真理
ブッタ(釈迦)の聖諦とは「神聖なる真理」という意味であり、よって仏教四諦とは「4つの真理」の意である。
<仏教四諦4つの真理>
・苦諦ー人が生きるということは苦であるという真理
・集諦ーその苦の原因は人間の執着にあるという真理
・滅諦ーこの苦を滅した境地が悟りであるという真理
・道諦ーその悟りに到達する方法が仏道であるという真理
仏教十二縁起
仏教十二縁起説とは、ブッタ(釈迦)が、人間の生存の苦悩に目を向け、苦悩から解脱すべきことを説く教えで、四諦、八正道につながるのブッタ(釈迦)の説法の根本となるものである。すなわち、無明(無知、煩悩)が老死(四苦八苦)を招く縁起(因縁)となることを説いたもの。
現在では、仏教十二縁起説の解釈の仕方が、流転縁起説(諦めを強いる教説)と還滅縁起説(苦の現実から開放される方向を明示する)とがあるが、これからの人間社会では、還滅縁起説を強く説く必要がある。
<仏教十二縁起(因縁)>
・無明(むみょう) - 無知、煩悩。
・行(ぎょう) - 身、語、意で行動すること。
・識(しき) - 6識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)。無知の行為は識を狂わす。
・名色(みょうしき) - 6境(色、声、香、味、触、法)。識の成立の因。
・六処(ろくしょ) - 6根(眼、耳、鼻、舌、身、意)。知覚の入口。
・触(そく) - 6識の成立、認識。
・受(じゅ) - 苦楽、不苦不禁、三受。
・愛(あい) - 愛着、執着、欲受
・取(しゅ) -所有、 取捨選択の行為。
・有(う) - 生存、一生の方向づけ。
・老死(ろうし) - 生老病死、愛別離苦、四苦八苦。
現在では、仏教十二縁起説の解釈の仕方が、流転縁起説(諦めを強いる教説)と還滅縁起説(苦の現実から開放される方向を明示する)とがあるが、これからの人間社会では、還滅縁起説を強く説く必要がある。
<仏教十二縁起(因縁)>
・無明(むみょう) - 無知、煩悩。
・行(ぎょう) - 身、語、意で行動すること。
・識(しき) - 6識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)。無知の行為は識を狂わす。
・名色(みょうしき) - 6境(色、声、香、味、触、法)。識の成立の因。
・六処(ろくしょ) - 6根(眼、耳、鼻、舌、身、意)。知覚の入口。
・触(そく) - 6識の成立、認識。
・受(じゅ) - 苦楽、不苦不禁、三受。
・愛(あい) - 愛着、執着、欲受
・取(しゅ) -所有、 取捨選択の行為。
・有(う) - 生存、一生の方向づけ。
・老死(ろうし) - 生老病死、愛別離苦、四苦八苦。
2008年06月14日
仏教用語・三科(五蘊・十二処・十八界)
仏教用語で三科(さんか)とは、一切法を分類した三範疇、五蘊・十二処・十八界をいう。また、六根・六境・六識の三範疇をいうこともある。部派仏教では、三科を世界を在らしめる『一切法』の分類としている。
・六根(ろっこん) - 人間の持つ六つの器官。六内入処(ろくないにゅうしょ)とも。 眼(げん)、耳(に)、 鼻(び)、 舌(ぜつ)、 身(しん) 意(い)。
・六境(ろっきょう) - 六根の対象。六外入処(ろくがいにゅうしょ)とも。 色(しき)、声(しょう)、香(こう)、 味(み)、 触(そく)、 法(ほう)
・六識(ろくしき)ー 眼識(げんしき)、 耳識(にしき)、 鼻識(びしき)、 舌識(ぜっしき) 、身識(しんしき)、 意識(いしき)
・十二処 - 六根と六境をあわせたもの。
・十八界(じゅうはちかい) - 十二処に六識を加えたもの。
このうち、眼・耳・鼻・舌・身を五根といい、人間が外からの影響を受ける身体の器官すなわち五感であり、意はそれによって生じる心の働きのことである。
・六根(ろっこん) - 人間の持つ六つの器官。六内入処(ろくないにゅうしょ)とも。 眼(げん)、耳(に)、 鼻(び)、 舌(ぜつ)、 身(しん) 意(い)。
・六境(ろっきょう) - 六根の対象。六外入処(ろくがいにゅうしょ)とも。 色(しき)、声(しょう)、香(こう)、 味(み)、 触(そく)、 法(ほう)
・六識(ろくしき)ー 眼識(げんしき)、 耳識(にしき)、 鼻識(びしき)、 舌識(ぜっしき) 、身識(しんしき)、 意識(いしき)
・十二処 - 六根と六境をあわせたもの。
・十八界(じゅうはちかい) - 十二処に六識を加えたもの。
このうち、眼・耳・鼻・舌・身を五根といい、人間が外からの影響を受ける身体の器官すなわち五感であり、意はそれによって生じる心の働きのことである。
仏教用語・五蘊
仏教用語で五蘊(ごうん)とは、仏教の根本教説。仏教における一切法の分類である三科(五蘊・十二処・十八界)の中の第一。「蘊」 (skandha) とは集まりの意味で、五蘊とは人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したものである。この五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとして、五蘊仮和合(ごうんけわごう)と説く。これによって五蘊(=人間)の無我を表そうとした。
<五蘊>
・色蘊(しきうん) - 人間の肉体を意味したが、後にはすべての物質も含んで言われるようになった。
・受蘊(じゅうん、vedanaa) - 感受作用
・想蘊(そううん、saMjJaa) - 表象作用
・行蘊(ぎょううん、saMskaara) - 意志作用
・識蘊(しきうん、vijJaana) - 認識作用
<五蘊>
・色蘊(しきうん) - 人間の肉体を意味したが、後にはすべての物質も含んで言われるようになった。
・受蘊(じゅうん、vedanaa) - 感受作用
・想蘊(そううん、saMjJaa) - 表象作用
・行蘊(ぎょううん、saMskaara) - 意志作用
・識蘊(しきうん、vijJaana) - 認識作用

